古木克明さんのエピソードで打線組んだwwwwww

furuki

1: 名無しさん@おーぷん 2018/05/26(土)21:44:46 ID:LZe

1(遊)2006年、チームの大先輩である石井琢朗への年賀状で宛名を石井豚朗(そもそも石井の本名は石井忠徳)と書き間違える

2(左)2000年6月6日の2軍戦、9回裏一死満塁のピンチで古木の守るレフト側ファールゾーンに打球が飛ぶ。この場合三塁走者のタッチアップを防ぐため取らないのが定石だが、古木は見事背面キャッチ。犠牲フライとなって三塁走者が生還し湘南シーレックス(当時)はサヨナラ負けを喫した

3(二)1998年に松坂の外れ1位で入団した古木だが、小学校の卒業文集では「将来の夢は野球選手だが絶対に行きたくない球団はロッテと大洋」と書いていた

4(三)2003年7月5日の本拠地で迎えた広島戦、三塁守備についていた古木はサードゴロを捌こうとして転倒。実況の清原アナの「古木あーーっと!」という叫び声と解説斉藤明雄の「自分のお庭ですよ」という言葉を含めて現在でも珍プレーの代名詞として有名

5(指)05年オフ、小池、金城、多村の外野スタメン固定により出場機会を失った古木はトレードを直訴。しかし行きつけのガソリンスタンドの店員から「他球団に行かないで」と声をかけられた古木は「残りますよ」と答えて横浜に残留することを決意した

6(一)三塁や左翼で迷守備を連発した古木だが、一塁守備は群を抜いて下手らしく、ワンバウンドの送球を捕球しただけで遊撃手の石井琢朗を始めとするナインから「ナイスファースト!」と声を掛けられた

7(右)2004年5月4日、巨人上原から決勝のソロホームランを放った古木はお立ち台で「こどもの日に打てたのが嬉しいです」と笑顔で語り、インタビュアーに「今日がこどもの日と勘違いしてしまうくらい盛り上がっていますか」と突っ込まれてしまった

8(捕)入団してから2年間背番号3を背負っていた古木だったが、2000年の契約更改の席で「来年1軍でヒットを打てなければ背番号が剥奪される」と明かす。翌2001年は代打を中心に5打席に立つがノーヒットに終わり背番号が33に変更された

9(中)守備に関するエピソードにはことかかないが、本人曰く「一番得意なのはセンター」

P:2003年の古木は前半は三塁手、後半は外野手として多くの出場機会を得て自己最多の22本塁打を放ったが打率.208に対して得点圏打率.121と村田修一も真っ青な勝負弱さを見せ、打点は37。規定未到達にもかかわらずリーグ2位の132三振を喫する衝撃的な成績を残した


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Source: ベイスターズ速報@なんJ

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